中国中央企業の三層構造:トップエリート・中間の問題・現場の沈黙

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なぜか、悪い管理職はみんなそういう風貌だと想像されるね。

この2年ほど、仕事の縁で中国の中央企業の人たちと多く接してきた。将来を嘱望される董事長・総経理クラスから、グループ企業の中間管理職、そして現場の一般社員まで。この記事は中央企業の良し悪しを論じるつもりはない。ただ、自分が見てきたことをそのまま書き留めておきたい。

トップ層:本物のエリートは少なくない

中央企業の上層部について、外部からよく聞く印象がある——「あの位置まで上がれたのは、うまく立ち回ったからだ」というものだ。しかし、それは必ずしも正確ではない。

日本への視察で来日した幹部と何度か話す機会があった(内部規定があるようで、出張の上限はどうやら5日間らしい)。人との接し方、物事を説明する論理の組み立て方を見ていると、明らかな弱点を見つけるのは難しかった。私のような立場の人間の話にも耳を傾けてくれたし、帰り際にはきちんと礼を言い、握手をして、WeChatを交換していった。少なくとも、彼らがコミュニケーションの中で見せた教養、情報整合力、判断力は、信頼と敬意に値するものだった。

もちろん、接触の場は視察という限られた文脈で、交流がそう長く続くわけでもない。組織内部での意思決定の全体像を語る立場にはない。ただ、少なくとも私が観察できた範囲では、彼らは自分のいる位置にふさわしい人物だった。

中間層:問題が最も集中する場所

トップ層が比較的健全だとすれば、問題が凝縮しているのは中間層——大手中央企業から見たグループ企業の管理職——だ。

もちろんこの層にも、地道に努力し、謙虚に成果を出している管理職は少なくない。しかし同時に、「問題のある3タイプ」が現れる確率が最も高いのも、この層だ。

南郭先生型
(吹けもしない笛を吹くふりをした人物)

運や人脈によって昇進の機会を掴んだが、実力と役職が釣り合っていない。同僚からの評価は低く、人望も薄い。

山賊型

強引さや威圧で管理に代える。自分の縄張りでは「王」として振る舞い、上層部への報告は都合よく選別し、部下への接し方は支援より抑圧が勝る。

手柄横取り型

部下やチームの成果を自分のものとして上に報告し、問題が起きると真っ先に責任を他へ押し付ける。

この3タイプには共通の構造がある。能力の不足が不安を生み、不安が防衛的な行動を引き起こす。最初から悪意があるわけではなく、「このままでは持たない」と気づいた時点から、少しずつ歪んでいく。

こうした人物が人事権を握ると、問題は組織全体に波及する:

中央企業内部の業績の良し悪しは、こうした問題のある中間管理職がどれだけ多く、どこまで上がれるかに大きく左右される。

中間層の天井:無能には自ずと限界がある

ただし、一点補足しておきたい。ある種の「自然な矯正力」とでも言うべきものが、ここには働いている。問題のある人物が一定の高さまで登れるのは事実だが、そこが限界でもある。

彼らの昇進は本質的に、運や後ろ盾、あるいは情報の非対称性を利用した「見せ方」によって成立している。しかし上に行けば行くほど、意思決定者の人を見る目は鋭くなり、情報源も多様になる。化粧を維持するコストは上がり、ほころびは隠しにくくなる。

どれほど上下に動き回り、あちこちに気を使っても、本当に人を見抜ける上司の前では、能力の輪郭はいずれ露わになる。演技でカバーできる範囲にも、実力という裏打ちが必要だからだ。

これは組織の中に内在する、数少ない自律的な歯止めかもしれない。本物でない人間が、本物を見抜ける人間の前でそう長くは立っていられない。問題は、この天井が機能するのがしばしば遅すぎる点だ——その前に、すでに多くの人と物事が影響を受けてしまっている。

現場層:問題は気質ではなく、沈黙にある

一方、現場の幹部や一般社員については、おおむね好印象を持っている。威張ったり格をつけたりする場面はあまり見なかった。それぞれに生活の悩みや難しさを抱えているが、人との接し方は素直な人が多かった。

現場の真の問題は、気質ではなく学習された沈黙にある。管理職の側は意外と部下の意見を聞く姿勢を持っているが、率直に意見を言える人間がきわめて少ない。

理由はわかりやすい。「意見を言っても無駄で、むしろ不利益を被った」という経験が積み重なってきたからだ。長い時間をかけて、「考えがある人は考えのないふりをする」か、「適切なタイミングを待って静かに離れる」という文化が組織に根付いてしまっている。

廉潔運動について:効果はある、しかし限界もある

近年の廉潔(腐敗防止)運動や内部ガバナンスの強化は、中央企業においても確かに正の効果をもたらしている。少なくとも行動レベルでは、かつては当たり前だった腐敗行為が慎まれるようになった。

しかし、構造的な限界が一点ある。腐敗した「行動」は摘発できても、能力の空洞は摘発できない。

南郭先生型の人間は、お金を横領さえしなければ、廉潔運動の視野にほぼ入らない。ポストに居座り続け、有能な部下を抑圧し、従順な人材を引き上げ続けることができる。「コンプライアンスを守った凡庸さ」こそが、より根治の難しい問題なのだ。

もうじき、この界隈とは完全に無縁になるだろう。
ただ願うのは、誠実な人が報われること、南郭先生型がいずれ化けの皮を剥がされること、山賊型が上からきちんと見抜かれること、手柄横取り型がいつか本物の実力を識別できるリーダーに出会うこと。

組織の健全さは結局、情報が正直に流れるかどうか、実力が正直に見えるかどうかにかかっている。

本稿は、著者が日本での業務を通じて中央企業関係者と長期的に交流した経験に基づく個人的な観察であり、いかなる機関の立場も代表するものではありません。

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