シリーズ投稿:9年ぶりのゲーム機購入で昔を思い出す
前回の記事では、当時のハード面の生態系について書きました。iQueの挑戦、並行輸入品の本体、そしてM3のようなマジコンの仕組みです。今回はその続きとして、少し角度を変えてみたいと思います。ハードが解決していたのは「遊べるかどうか」という問題でしたが、ゲームのコンテンツそのものは、正規ルートを飛び越えてほとんどタイムラグなしに私たちの手元に「届いて」いました。その裏側には、もう一つの仕組みが存在していたのです。
発売前からダウンロードできたゲームたち
記憶している限り、当時のROMダンプ(イメージの吸い出し)のネットワークは、猖獗を極めると言っていいほど発達していました。カートリッジは製造から物流、小売に至るまでいくつもの段階を経るため、正式な発売日より数日、時には一週間も前に、すでに吸い出されてネット上に出回っていることが珍しくありませんでした。当時の中国国内では、電玩巴士、S1、NDSBBSといった掲示板が、こうしたリソースが集まる主な場所でした。
さらに重要なのは、こうしたリソースには地域の制約がなかったということです。一枚のTFカードの中に、日本版、アメリカ版、ヨーロッパ版が同時に存在することも普通で、どのバージョンが先に出るか、どの翻訳が早いかによって、遊ぶバージョンが決まっていました。当時のプレイヤーにとって「正規版の発売を待つ」という発想はほとんど存在しなかったと言っていいでしょう。そもそも、どの国のどのバージョンを「待てば」いいのかすら分からなかったのですから。
学習ツールとして使われていたゲーム機
NDSは二画面とタッチペンという設計のおかげで、意外にも強いPDA的な性格を持っていました。当時は『大辞林』や『楽引辞典』(任天堂とカシオの共同開発)といった、かなり質の高い電子辞書ソフトが存在し、マジコンを使えば、多くの学生や新社会人がNDSを携帯用辞書として使っていました。
『逆転裁判』や『レイトン教授』のような、テキスト量が膨大で論理展開の緻密なアドベンチャーゲームは、私自身、ほとんど教材代わりに繰り返しプレイしていました。法廷での議論や事件の推理といった内容は、日本語の読解力を鍛えるという意味では、正直なところ普通の教科書に引けを取らなかったと思います。ただ、それを学習計画に組み込む人は誰もいませんでしたが。
漢化組(有志翻訳チーム)
実は私も当時、短い期間ではありますが有志による翻訳チームに加わっていました。今振り返れば完全に「にわか」レベルの日本語だったと思いますが、それでもささやかながら貢献はできたつもりです。
こうした翻訳チームの役割分担は、実ははっきりしていて、おおむね次のような構成になっていました。
| 役割 | 主な作業内容 |
|---|---|
| 解析 | ROMからテキスト・画像・フォントを抽出し、書き戻す |
| 翻訳 | 日本語のテキストを中国語に訳す(当時の私の役割) |
| 校正 | 訳文の正確さを確認し、誤訳を修正する |
| 推敲 | 直訳調ではなく、自然な中国語に整える |
| グラフィック | 翻訳後の画像・フォント画像を処理する |
図:典型的な有志翻訳チームの役割分担。ほぼ全員が趣味の時間を使った無償の活動で、金銭的な見返りは一切なかった。
この作業の難しさは、想像していたよりもずっと大きなものでした。NDSの処理性能とゲーム内のフォントデータの制限により、翻訳後の中国語テキストは元の日本語のバイト数を超えられないことが多く、それを超えるとフォントデータが溢れてフリーズしてしまいます。翻訳をしながら、頭の中では常に二つの戦いをしていました。一つは意味を正確に訳すこと、もう一つは文字数を「削って」スペースを確保することです。『逆転裁判』に出てくる語呂合わせやダジャレを含んだ人名やセリフなどは、面白さを保ちながら限られたバイト数に収めなければならず、今思い返しても決して簡単な作業ではありませんでした。
グレーゾーンの中の文化の橋渡し
繰り返しになりますが、翻訳はセーフにしても配布は違法です。それでも、こうした活動のおかげで、日本語が読めない多くの人たちも、こうしたゲームの魅力を感じることができました。あの時代の「愛による無償の労働」が、私自身も含めた一世代のプレイヤーたちのゲームに対する感性を形作った、と言えるのではないかと思います。




