シリーズ投稿:9年ぶりのゲーム機購入で昔を思い出す
先日、私事で妻の実家に帰省しました。そこまで遠くない場所で、来年からは実際にそこで暮らす予定です。義姉の家で、姪っ子二人がSwitch2で遊んでいるのを見かけ、そのあとたまたま売っているのを目にして、つい自分も一台買ってしまいました。家に帰ってeShopを開くと、レトロゲームというカテゴリーが目に入り、二十数年前、ゲーム機に夢中になっていた頃のことを一気に思い出しました。
当時、中国国内ではGame Boy AdvanceやニンテンドーDSが正規に発売されておらず、代わりに並行輸入品の本体が上海のような都市では珍しくありませんでした。そしてこうした「水貨」(並行輸入品)と一緒に必ず出回っていたのが、「マジコン(焼録卡)」と呼ばれる機器です。この記事では、まず当時のハード面の生態系について書いてみたいと思います。正規ルートがほとんど存在せず、グレーな市場のほうがむしろ主流だった時代の話です。
当時、私たちの手元にはスマートフォンというものがありませんでした。アプリストアで気軽に検索することもできなければ、ネットで注文して翌日には届く、というような購入手段もありません。情報を得ることも、モノを手に入れることも、今よりずっと手間がかかりました。本体を買う、機材を揃えるとなれば、実際に店に足を運んで店員に聞き、値段を比べる必要があり、多くの場合は掲示板の書き込みや店主の口コミを頼りに、何をどこで買えばいいのかを調べるしかありませんでした。だからこそ、当時は実店舗の存在が今よりずっと重要だったのです。
iQue(神游科技)の挑戦とその限界
国内に正規ルートがまったく存在しなかったわけではありません。任天堂は顔維群博士と共同で2002年に「iQue(神游科技)」を設立し、小型版のiQue GBAやiQue DSなどを中国国内に導入しました。当局の認可を得るため、これらの機器は当時「マイクロコンピューターシステム」や「携帯型マルチメディアシステム」といった名目で扱われていました。
iQueは『ゼルダの伝説 ふしぎのぼうし』の中国語版などローカライズにも力を入れ、アフターサービスもそれなりに丁寧でした。しかし認可のスピードが遅く、ラインナップも限られており、さらにリージョンロックの制約もあって、市場での地位を確立することはできませんでした。
主流だったのは並行輸入品
実際に市場を支配していたのは、並行輸入品、いわゆる「水貨」でした。北京の鼓楼や上海の美羅城、不夜城といったエリアのゲームショップには、日本版やアメリカ版の本体が絶えず流れ込んでいました。これらの本体にはリージョンロックがなく、新作ゲームが出るタイミングも本国と変わらないため、自然とプレイヤーたちの第一選択になっていったのです。
正規ルートとグレーな流通が共存しつつ、後者のほうがむしろ主流を占めていたこの状況こそ、当時の中国の携帯ゲーム機市場を最も端的に表していたと言えるでしょう。
マジコン:買い切り型の高級品
並行輸入の本体とセットで出回っていたのが、マジコンというデバイスです。私が当時使っていたのはM3シリーズでした。仕組みは大まかに言うと、GBA時代の初期のマジコンはパソコンに接続し、専用ソフトを使ってROM(ゲームイメージ)をフラッシュメモリに書き込む方式でした。NDSの時代になると、M3などのメーカーはMicro SDカード(当時は「TFカード」と呼ばれることが多かった)に対応したマジコンを発売し、ブートカードと組み合わせることで、一枚のカードに数十本ものゲームを詰め込めるようになりました。
ただし、これは決して安くはありませんでした。記憶では、M3一式で人民元800元前後、それとは別にTFカードも買う必要があり、両方合わせると新品のNDS本体の三分の二近い金額になっていたと思います。それでも「買い切り」という点が魅力でした。一度機材を揃えてしまえば、その後はゲーム自体にほとんどお金がかからなくなるのです。
| 項目 | おおよその費用(人民元) |
|---|---|
| M3シリーズ マジコン | 700〜800元 |
| TFカード(512MB〜1GB) | 別途、決して安くない金額 |
| 新品NDS本体(並行輸入) | 上記合計のおよそ1.5倍 |
図:当時マジコン一式にかける投資額は、本体一台の三分の二近くに相当した。ただしその後はほぼコストゼロでゲームを手に入れられた。
当然、違法であることに変わりはない
マジコンおよびそれが依拠していたROMの流通は、ゲーム開発会社・発売元の著作権を侵害する行為であったことに間違いありません。だからこそ各国は後にR4やTeam-Xecuterのような組織への取り締まりを強化していったのです。
ただ、当時の具体的な環境に立ち返ってみると、正規の輸入ルートが乏しく、輸入ソフトの価格が当時の消費水準からすると割高で、さらに言語の壁もありました。マジコンは結果的に、多くの中国国内のプレイヤーが世界各地のゲームに触れる窓口になっていたのです。これは決して海賊版行為を擁護するものではなく、あの特定の時代において、ハードと流通の両方が作り出した現実だった、ということです。
付け加えておくと、こうした事情は時代とともに完全に消えたわけではありません。最近調べてみて分かったのですが、現在のSwitchでも、中国国内ではまだマジコンが流通しているようです。ゲームの審査プロセスが遅く厳しいこと、一本あたりの価格が中国の人々にとって割高に感じられること――こうした理由は今もそのまま当てはまります。ただこれは別のテーマになるので、ここでは深く触れません。
次回は、この「ハード面での高い参入障壁、ソフト面でのコストゼロ」という仕組みの中で、ゲームのコンテンツそのものがどのように正規ルートを飛び越え、ほとんどタイムラグなしに私たちの手元に「届いていた」のかについて書きたいと思います。発売前からダウンロードできてしまうROM、辞書代わりに使っていたAVGゲーム、そして自分自身も関わっていた有志による翻訳(漢化)活動についてです。




