「日本人ファースト」と言われても変わらないこと

「日本人ファースト」と言われても変わらないこと

このブログは元々、趣味として書いているものです。日本での暮らしぶりや、普通の人にはまず使い道のない技術的な話を中心に、年間アクセス数もドメイン代をかろうじて回収できるかどうか、という程度の規模でやってきました。日本語で何かを書く予定も、特にありませんでした。(更新:今は違います)

ただ、最近のある選挙報道を見ていて、あまり良い気持ちにはなれませんでした。それも無理はないと思います。今回はその話を書いておきます。


自国民を優先するのは、本来当たり前のこと

世界的に、いわゆるナショナリズムが勢いを増しています。フランスでもアルゼンチンでも、あのアメリカでさえ、「自国民優先」(日本では「日本人ファースト」という言い方になります)を掲げて政権を取った、あるいは少なくとも存在感を強めている人たちがいます。

正直なところ、これを他人事として見ているぶんには、特に不愉快さは感じませんでした。自国民を優先するのは当然のことで、わざわざ言うほどのことか、というくらいの感覚です。逆に「外国人参政権」や「紙の保険証のほうが外国人に有利だ」といった類の話には、むしろ違和感を持つくらいです。

在留資格を持つ立場としてこの国にいる以上、「セカンドの立場に置かれる」のは当然のことだと思っています。理由は単純で、自分には日本国籍を持つ人にはない「母国での権利」(事情があってあまり強く主張できるものではありませんが)があるからです。


外国人が「ファースト」になっているわけではない

ファーストにされないのは当たり前なのだから、そう言われても構わないだろう、と思う人は多いかもしれません。しかし、それは少し違います。

どこが違うかというと、そもそも自分たちは「ファースト」という地位にいたことなど一度もないのに、まるでその地位や権利を不当に奪った側のように扱われている、という点です。

SNS上では、こうした話をよく見かけます。「外国籍とみられる運転者が日本人の児童をはねて死亡させたのに無罪放免になった」「自然豊かな村に外資系の民泊が大量に進出し、オーバーツーリズムになっても取り締まりが入らない」「留学生は月十数万円の奨学金を受け取れる一方、日本人の大学生はワーキングプア状態」「来日してすぐに生活保護を受給している」「難民申請を何度却下されても日本を出ない」。

こうした話のどちらかが、あるいはどちらも、実際に起きていることなのだろうとは思います。それを否定したり、弁解したりする気はありません。自分自身はそのいずれにも当てはまりませんが(当然のことですが)。

では、それで「外国人がファーストになっている」ということになるのでしょうか。


あなたたちの生活は、誰に奪われたのか

政治的な立場は個人の自由ですから、誰に投票するかも自由です。

ただ、ここで一つだけ問いを立てさせてください。

「あなたたちの生活は、いったい誰に奪われたのか」

長らくセカンドの立場にいた私たちなのか。それとも、別の誰かなのか。

少し話が逸れますが、大学時代に知り合った「趙さん」という人物の話をします。旧満州出身の中国人で、体格も性格も、日本語で言うところの「ジャイアン」タイプでした。横暴で、あまり頭が良いとも言えない人でした。私たちは日本語学科にいたので、頭の良さは語学の習得度合いで測られる環境でした。趙さんは上海に来て日本語を学んでいましたが、学生生活はあまり楽しいものではなかったようです。

授業はうまくいかないことが多く、成績も振るわず、奨学金も受け取れませんでした。そしてなぜか、私に対して強く当たるようになりました。私自身も奨学金は受け取っていませんでしたが、それは単に申請しなかったからです。

人は、本当の相手に向かって行動し、奪われたものを取り戻そうとするより、弱そうに見える誰かに当たったほうが安心できるものなのだと思います。少なくとも、失ったものを取り戻せなくても、これ以上失うことはないからです。

当たられた側に、特に責任はないのですが。


それで、失ったものは取り戻せるのか

日本人の暮らしは、もっと良くなるべきだと自分も思っています。

ただ、その手段が「日本人ファースト」と声を上げることなのか、「外資に何かを買わせない」ことなのか。否定はしませんが、それで具体的にどう改善されるのか、今の自分には道筋が見えていません。単に自分が知らないだけかもしれません。

ミクロな改善は可能でしょう。外国免許の切り替え制度や、生活保護の不正受給といった問題を厳しく取り締まることには、自分も強く賛成しますし、今後もそう願っています。

ただ、その政党に託したのは、その程度の話だったのでしょうか。不正を取り締まり、社会の正しさを示すことは重要ですが、失ったものを取り戻すには、もっと優先すべきことがあるのではないかと思います。なぜなら、あなたたちの生活を奪ったのは、「外国人という存在」そのものではないはずだからです。


国会に代表を送り込んだ、その先を見てみよう

民主主義の強さは、リーダーとしてふさわしくないと判断した人を、民の力で退場させられることにあると思っています。

日本の有権者は、与党をふさわしくないと判断し、少数与党という立場に追い込みました。代わりに、新しい人たちに期待を託すことにしました。

その新しい人たちが、国会に議席を得ることそのものを目的にしていたのか、それとも国会で実際に何かを成し遂げることを目的にしていたのか。これから見させてもらおうと思います。本物かどうか、単なる受け皿だったのかどうかは、いずれはっきりするはずです。


家族とともに、この国の幸福を願う

自分はしばらく外国籍のままでいる予定なので、これからも「セカンド」の立場であることを自覚しながら、良識的な生活を続けたいと思っています。家族の中には生まれながらに「ファースト」の立場にある人もいるので、心からこの国の繁栄を願っています。

これは日本という国を大切に思う、よそ者としての願いであると同時に、「自分の選んだ道を正しいものにしたい」という、いくらかの自己都合も含んでいることは否定しません。

投票権がない以上、議員になる人たちに自分の暮らしを託すしかない、というより、託すほかありません。どんな手段で議席を得たのかは、今の自分にとってはもはや重要ではなく、自分たちのために働いてくれるわけではないことも十分承知しています。それでも、仕事はきちんとしてほしいと思います。

「日本人ファースト」と掲げるのであれば、せめて「日本人全員」をファーストにする何かを、実際にやってみてほしい。それができれば、私たちのような立場の人間にも、もう少し余裕を持った接し方ができるようになるのではないかと思います。

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