
職場でこんな言葉を聞いたことがある人は多いのではないでしょうか。「どこかにもっと良いものがあるはずだ、探してこい、見つからなかったらないと証明しろ」。一見、部下に課題を与えているように聞こえますが、実はそもそも達成不可能な作業を、能力不足の証拠であるかのように見せかけているだけです。
立証責任がすり替えられている
本来、物事を進める際の原則は「主張する側が証明する」ことです。何かが存在することを示すには、具体的な事例を一つ見つければ十分です。しかし何かがまったく存在しないことを証明するには、関連するあらゆる空間、経路、文献、非公開の情報、さらには将来起こりうる可能性まで、すべて調べ尽くさなければなりません。
これは現実には不可能です。情報には常に死角があり、ある領域の公開・非公開の資料をすべて網羅できる人などいません。つまり「完全にないことを証明する」というのは、最初から実行不可能な課題であり、それを部下に課すのは、決してクリアできない関門を用意するのと同じです。
「見つからない」は「あるかもしれない」ではない
このような要求の背後にある考え方はおおよそこうです。「絶対にないと証明できないなら、あるかもしれない。あるかもしれないなら、探し続けるべきだ」。
これは「反証がないこと」を、そのまま「根拠があること」にすり替える考え方です。この考え方で判断を続ければ、調査は終わりのない循環に陥ります。どれだけ資料を集め、情報源を洗い出しても、誰かが「まだ足りない」と言えば、いくらでも探索を続けさせることができてしまうのです。
なぜこうした要求が生まれるのか
この種の要求をする人は、必ずしもその道理を理解していないわけではありません。むしろ、この言葉自体が別の目的を果たしているケースが多いのです。
上司自身が次に何をすべきか、自社の強みが何かを明確に語れない場合、最も楽な方法は外に目を向け、どこかに既存の答えがあることに期待することです。これによって、自社製品や事業の深い分析・研究開発から目をそらすことができます。
もし上司が「A案でいく」と直接決断すれば、失敗した際の責任は上司にあります。しかし「もっと良い案を探してこい」と言えば、方向性を決める責任がひそかに移されます。見つかれば上司の先見の明、見つからなければ部下の努力不足とされます。
一部の管理者は、特定の地域や業界があらゆる面で必ず優れていると決めつけています。市場環境や法制度、技術の進み方の違いを見落とし、実際には存在しない「完璧な手本」を勝手に想定してしまうのです。
基準がどこまでも際限なく広げられるため、部下は決して「完全に満足のいく」最終的な証拠を出すことができません。要求する側は、そうすることで対話の中の評価権と批判権を握り続けられるのです。
この要求にどう向き合うか
終わりのない「探し続ける」に陥るのではなく、範囲を主体的に絞り込むことで、あいまいな要求を実行可能な課題に変えることができます。
- 範囲を明確に区切る——漠然とした「ある国・ある市場」を、具体的な業界、特定の企業リスト、調べられる特許データベースや既存の製品一覧に絞り込みます。
- 終了条件を設定する——例えば業界上位5社と過去3年の関連特許を調べ終えた時点で、同様の製品が見つからなければ「現在調査可能な範囲では該当する事例は確認できなかった」と結論づけます。
- 「未知を探す」を「現状を評価する」に置き換える——実体のない何かを探すことから、既存の方法や案が対象市場でどう適用できるかを評価することに重点を移し、調査範囲とデータで説明します。
反証できない要求は、それだけで真剣に向き合う価値のある要求ではありません。責任ある対応とは、それを検証可能で実行可能な範囲に引き戻すことです。
何気なく口にされたこの言葉は、よく見ると、意思決定の不確実性を、実行力への試練であるかのように見せかけたものです。この構造を見抜くことができれば、組織は自己証明の罠にはまらずに済み、限られた力を、そもそも答えの出ない問いに費やさずに済むのです。



