「日本人ファースト」と言われても実は何も変わらない

言っておくが、ここは本来道楽として中国語で書くブログだ。

主に書いているのはあくまで上海人としての日本での生活、普通の人じゃ一生用のない役に立たない技術など、年間アクセス8000人ぐらいの、ドメインの費用を回収できるかどうかみたいなところで、日本語でなにかを書く予定もなかった。

が、昨日「働かない人が審判を受ける」のが大好物な私は、その審判を見てあまりいい気持ちはなかった。

それもそうだろう。


自国民ファーストは本来当然のこと

全世界において、いわゆるナショナリズムが台頭している。フランスでもアルゼンチンでも、あのアメリカでさえ、「本国民優先」(日本だと「日本人ファースト」になる)を掲げて政権をとるか、少なくとも存在感を上げている人たちがいる。

個人的には、他人事として見てるときあまり不愉快はなかった。自国民をファーストするのは当然だし、私から見ると、わざわざ言うことのことか、って感じだった。逆に、「外国人参政権」「紙の保険証のほうが外国人に有利だ」的なニュースに、私は「何言ってんだ」とすら思った。

自分は在留カード持ちとしてこの国にいるのは「セカンドにされる」ことを当たり前だと思うし、なぜかというと、日本人にない「本国での権利」(諸事情によりあまり主張はできないが)を私は持っているからだ。


ファーストになっていないから

ファーストにされないのはあまり前だから、言われてもいいんじゃないかと思う人が多いと思うが、それは違う。

どこが違うかというと、そもそも私たちは「ファースト」になっていないのに、まるで「ファースト」という地位と権利を盗んだかのように言われるからだ。

Xでよくこういうニュースを目の当たりにする。

「外国籍と思われるXXXが運転する車が日本人の○○○(小学校N年生)を轢いて死亡させた」

「自然豊かなXX村に外資民泊大挙進出でオーバーツーリズムになった」

「留学生が月十数万の奨学金をもらえたのに日本人大学生はほぼワーキングプア」

「入国してすぐ生活保護受給」

「難民申請却下し続けても日本を出ない」

多分どちらでも本当のことだし、それらに対して弁解するつもりはない。私はやってない(当たり前だ)けど。

それで外国人ファーストになっているか?


あなたたちの生活は誰に奪われた?

政治的信条は自由だから、別に誰に票を入れようが自由だ。

が、ここで一つ質問させてもらう。

「あなたたちの生活は、誰に奪われた?」

ずっとセカンドでいた私たちなのか?他の誰かなのか?

ここで少し脱線するが、大学時代の知り合いの話をしよう、「趙さん」って人。

旧満州系の中国人で大柄、性格も、まぁ、日本語でいうと「ジャイアン」。横暴で頭もあまり良くない、私たちは日本語学科だから、頭の良さは言葉を学べるかどうかで評価される。その趙さんは上海に来て日本語を学ぶが、学生生活はあまり楽しいものではなかったらしい。

学校では思う通りにいかないことが多いし、成績も悪いから、奨学金をもらえない。そして、何故か私に強く当たるようになった。

別に私も奨学金をもらってないけどね、申請しなかったから。

人は本当の仇に行動して権利を取り戻すより、誰か弱そうな人に八つ当たりにしたほうが安心だ。少なくとも、失ったものを取り戻せなくても、これ以上失うことはないから。

と私は思った。

八つ当たりされたほうは別に悪くないけどな。


それで、失ったものを取り戻せると思う?

日本人の生活もっといいものにすべきだと私も思っている。

その方法は、「日本人ファースト」と叫ぶことなのか?「外資にXXXXを買わせない」ことなのか?

別に否定しませんが、私は今それでできると道筋が見えない、私は無知だからかもしれない。

ミクロ的な改善はできるだろう。外免切替とか、生活保護不正受給とか、それらを強く取り締まることを私は強く望んでいるし、今後もそう願う。

でも、その政党に託したのは、その程度の思いなのか?ズルを取り締まり、世の正しさを宣言するのも重要だが、失ったものを取り戻すには、もっと大事なことをやるんじゃないのかな。

だって、あなたたちの生活を盗んだのは、「外国人という存在」じゃないから。


代表を国会に送り込めた、お手並み拝見しよう

民主主義の強さは、リーダーにふさわしくない人を民の力で排除できると私は思っている。

日本人はリーダーにふさわしくないと思われる与党を「少数与党」にし、代わりに新しい人を信じることにした。

新しい人たちは国会入りを目的にしたのか、国会で何かを達成することを目的にしたのか、これからお手並み拝見としよう。本物か、ただの受皿かは、すぐに分かる。


家族と一緒に「この国に幸あれ」と願う

私はしばらく外国人のままでいる予定だから、しばらく「セカンド」として自覚し、良識のある生活を送り続けたいが、家族に「生まれつきのファーストの人」もいるから、心底この国の繁栄を願う。

これは、日本国を愛すよそ者の願望であり、「自分の選択を正しくしたい」エゴでもあることを、否定はしない。

私は投票できないから、議員になる人たちに生活を託すしかない、というか、せざるをえない。

どんな手段で議席をとったかは今の私にとってもはや重要ではないし、私たちのために働くことはないのも重々承知、でも仕事はちゃんとしてください。

日本人ファーストを叫ぶなら、せめて「日本人全員」をファーストにして、何かとしてあげてみろ。

それで私たちにも少し余裕のある接し方が生まれるだろうと、思う。

(終わり)